聖教新聞のCMは、実は非常に宗教的です。

聖教新聞、「言葉と生きていく」感動CM動画まとめ 
 


◯ 非常に宗教的なCM

一見して宗教的な匂いが全くなさそうなCMですが、実は非常に宗教的なCMです。何故なら、新訳聖書の次の言葉を意識してると思われるからです。 

言葉は神であった。
ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

人はパンだけで生きるものではなく、
神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。
(マタイ福音書4:4)

ここで言っている「言葉」とは 「神」となるので、「言葉と生きていく」は「神と生きていく」となり、非常に宗教的なCMであることがわかります。
  

◯「聖教新聞っていいな」って感じることは間違い。

なぜなら、このCMは「思いやりある日常の言葉が、人を元気づける」というの単なるありふれた、誰でも知ってる事実を述べてるだけだからです。

でも イメージ CM なんて、往々にしてこんな物ですが。Apple なんかも、よく宗教に例えられるじゃないですか。あれと一緒ですね。

ただ、個人的には、このCMにあるように「日常の言葉の中に、思いやりの言葉の中に神様が宿ると言う考え方」は好きですし、実際そうだと思います。

しかし、このCMを見て「聖教新聞っていいな」って感じることは、それは「論理的に飛躍」していると思います。

繰り返しになりますが、事実を述べているだけだからです。
 

◯「宗教を信じるようになったプロセスが思い出せなくなる」理由



この手の論理的な飛躍に気づかずに入信してしまったから「宗教を信じている人は、自分がその宗教を信じるようになったプロセスが思い出せなくなる」のです。

ほら、なんで Apple 製品が好きになったかって、なかなか思い出せないじゃないですか。

逆に、ちゃんと意図して考えたことであれば、意外と思い出すことは容易なのだと思います。

有能、無能というのもあるかと思うのですが、思うに、意図して行ったことなのか、それとも意図せず考えずに行動したことなのかという違いも大きいのかなという気がします。

転職、すなわち中途採用の面接では、自分が過去に取り組んだ仕事について質問されます。しかも、ごまかしがきかないよう、具体的な行動内容を、細かく聞かれます。広く浅く訊くのではなく、何カ所か適当に選んで、狭く深く訊いていきます。
... (中略)
おもしろいことに、有能な人というのは、そういう具体的な行動を聞き出すと、細部まで鮮明に覚えていて、スラスラ答えます。徹底的に細部まで、なぜその行動を取ったのか?と問い詰めていくと、打てば響くように答え、持論を展開します。

未来の転職が、過去にさかのぼって現在の自分を有能にする - 分裂勘違い君劇場

◯ 神様の存在箇所

神の居場所は、考えてもわからないところに存在する。例えば自然現象がそうである。現在も、スピリチュアルとか、証明もできないけど、否定もできないところには、神は存在できる。そして神様には、大きく分けて2種類が存在する。

現象を司る神様

ひとつめは、考えても分からない "現象" を司る神様である。アニミズムや、ギリシャ神話などが該当する。ふたつめの種類の神様に比べると道徳心が薄い。しかし、ひとつめの神様の居場所は、時代を経るにつれて、科学が発達し "現象" が解明されるにつれて、その居場所を追われつつある。いまの神様の居場所は、スワンプマン、クオリアにある程度だろう。

人間を救済する神様

ふたつめは、人間を "救済" する神様である。キリスト教や、イスラム教がそれに該当する。最後の審判なども関連する考えだろう。

繰り返しになるが、ひとつめの神様も、ふたつめの神様も、人知の及ばない範囲で活動を行う。つまり考えてもわからない世界で彼らは生きることができるのだ。

政治と宗教を分ける必要があるのは、まさに、この点である。宗教は、考えを放棄する傾向にある。たしかに宗教は、人に対して道徳心を教授する役割を果たすが、それ以上の、余計なことも定義している。

それは例えば、ルサンチマンライクな考えであり、政治に限らず、それに従って一個人が生活をしようものなら、詐欺などをすることを厭わない搾取的人間、自己啓発本の筆者の格好の餌食になる。

Render therefore unto Caesar the things which are Caesar's; and unto God the things that are God's.
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に納めよ

カエサルのものはカエサル

 

しかし、だからといって、以下の記事のように、自己啓発という存在そのものを完全に否定できるわけではないと思う。というのも、人は、将来なんとかなるという、希望、言葉があるかないかでは、やる気の出方が違ってくるからだ。
http://wirelesswire.jp/london_wave/201211260725.html

まさに「言葉は神であった。」のだから。

言葉は神であった。
ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

神様の存在できる場所というのは、考えない場所にあると

◯ まとめ

このCMは、ずるい感じがします。何故なら、直接的ではないにせよ、視聴者が意識しないうちに、論理的に考えさせないうちに、神を意識させようとする意図が何となく感じられるからです。