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なぜ諸葛亮は蜀についたのか

思ったこと

中国に旅行にいきたいなぁと思ってたら、思いついたので、書き留めていきます。

主題

諸葛亮は、どうして蜀についたんだろうか。

疑問に思った理由

つぎの2点が互いに矛盾するから。

  1. 魏がさっさと中国を統一して平和が訪れるはずだったのに、劉備益州荊州を取るように勧めて戦争を長期化させた。
  2. 諸葛亮は徹底した民政家である。私財を肥やすようなことはせず、国民から慕われていた。


現代も含めた歴代中国の政治家と比較しても、尋常無く異質だと思うわけです。それは、諸葛亮が「善良」であったということに加えて、「ぐうの音もでないくらい優秀」だからです。

まず、「善良」であったことの証左、具体例としては、荊州から曹操に追われて逃げる時に村人が数万単位で人がついて来たっていう話です。最初は、演義(物語)の話だろうと思ったのですが、これが史実だっていうんだから、三国志が2000年経ったいまでも、強く人を引きつけることもなんとなくうなづけるわけです。僕も村人だったら、たぶん、ついていきます。

長坂の戦い - Wikipedia
諸葛亮孔明という人物 - 彼は劉禅に「私は成都に桑800株、薄田15頃... - Yahoo!知恵袋
 

次に「ぐうの音もでないくらい優秀」だったことの証左、具体例としては普通の優秀、くらいだったら、あの時代、恐らく善良というか、真っ当な精神、やり方は保てないと思うのです。ぐうの音もでないくらい頭がよかったエピソードとしては、李厳がはめてこようとしたときに証拠を集めてやりかえしてしまったという話が、理解しやすいのではないでしょうか。

ちなみに李厳は「劉備諸葛亮と共に後のことを託すほど重要視」されるくらい出来る人物です。蜀科という法律の制定にもメインで関わったメンバーです。李厳 - Wikipedia

普通の精神の人なら、あの時代の辛酸を嘗め尽くして、なかなか善良という精神、あるいはやり方というのは取れないと思うのです。この記事は、現代版の、優秀な人が辛酸を嘗めて、変貌するプロセスみたいなのが、書かれていて面白いです。

頭の切れる人間が、こういう状況に放り込まれたら、どう行動するかは、自明だ。ここで第一にやるべきなのは、インチキプレスリリースをうちまくって、とにかく時価総額を膨らます事だ。資本がないと、なにも始まらない。つまり、マジメにいい商品、いいサービスを、開発する、という、世の中への貢献行動は、マイナスの条件付けをされる。
そして、インチキのプレスリリースをうつ、という詐欺的行為は、プラスの条件付けをされる。まるでこの業界全体の構造自体がが、善良な人間を悪の手先に変える、サタンの洗脳機械のようなものなのである。あの円筒形のビルでは、サングラスをかけた、額に傷のある、かなり悪そうなパブロフの犬が日夜量産されているのである。

ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情 - 分裂勘違い君劇場

しかも諸葛亮は木牛という輸送用の一輪車を考案したという話も、三国志諸葛亮伝に乗っているらしいので、かなり人間的にチートがはいってる感があります。

いまいま思いつく、諸葛亮が、蜀についた理由の候補

  1. 当時の道徳観として漢を維持することが善であったから
  2. 自分のほうが魏よりも優れた国体を実現できると思ったから

当時の道徳観として漢を維持することが善であったから

根拠 勝てない戦いをしたこと

魏と蜀の国力差は、戦術レベルでは、どうしようも無いレベルであった

にも関わらず、7度も北伐をして、最後はその陣中で没しています。じゃあ何故諸葛亮が勝てない戦争をしたのかと言うと

劉備と約束したから諸葛亮は戦わないといけなかった。(KOEIから出版の三国志Ⅴの攻略本からの引用です、あの記事だけ欲しい)

そう考えると、というところを見ると、やはり当時の道徳観に縛られていた気配が見受けられる。それを陳寿に揚げ足を取られてしまい戦術家として「臨機即応」の才能が無いなんて言われてしまいましたが。

魏の統一が決まったような中で「劉備益州荊州を取るように勧めたこと」は、諸葛亮が戦略家としては超絶一流であることを示しているということは付け加えておきたいと思います。

「なんだよ、益州荊州が空いてたから取れよ」って言っただけだろ、と思われるかもしれませんが、この超シンプルで実現可能な提案は、やはり天才でないとできないのだと思います。

そもそも、ネットもない時代にどうやってあんな片田舎にいながら、国の情勢を把握していたのかでさえ、もはや驚異的な話ではあります。

自分のほうが魏よりも優れた国体を実現できると思ったから

根拠 無し

あのとき取るべき行動は何であったのか?

数世代を隔てた長期戦。やっぱり自分一人で、なんでもやってしまうのはよくなかったかも(これも三国志Ⅴの攻略本に記載されてた考察です。)。

使者「丞相(諸葛亮)は朝早くに起き、夜遅くに寝られます。
   鞭打ち20以上の刑罰はすべて、ご自分で取り調べ、
   なられます。最近は食も細いようです。」
司馬懿「さすがじゃのう。わしも見習わんとのう。」
司馬懿は彼より2才年上であるので体力がどの程度あるのか
わかった。これでは体力がもつまい。
となれば、既に病んでいるのか?
最近挑発が多いのは死期を悟ったからではないのか?
こうして司馬懿諸葛亮の死期を知ったのである。
(正式な出典もとがあるなら、知りたい...。)

「五丈原にて死期を悟る」諸葛亮孔明 - 雲随の歴史話

ひとがいなかったてのもあるかもしれませんが、やはり、後続の人間には、特に姜維とかには、北伐は実施しないように抑えておかないと行けなかった。でも諸葛亮自身も焦っていたのかな。




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