「人は科学的根拠に基づく事実を知ったところで、信じたくないものは信じない」を読んで。

人は科学的根拠に基づく事実を知ったところで、信じたくないものは信じない(米研究) : カラパイア
 

自己の系の無矛盾性は証明できないから、基本的には正しいようだ。と言えるけど。絶対にそうだとは言えないんじゃないのかな。ゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia

進化論の方が正しいとは思うけど「科学的根拠」って、結構あいまいで、例えば、古典力学の世界感で相対性理論なんて話そうでもしようものなら、頭おかしい人扱いされるだろうし。でも、まぁ、アインシュタインもよく思いついたもんだよなぁ。EMANの物理学・相対性理論・相対論はなぜ生れたか?

結局、何が言いたいかって言うと、いまいま知っている事実を類推すると、どうも進化論のほうが正しそうだということが言えるだけで、それが絶対に真理であるとは言えないんじゃないかなってこと。

その事実で絶対だっていう姿勢は、別の新しい観点から来た、事実を受け入れられなくさせてしまうから。
 


進化論って、そもそも証明されたんだっけか。しかも、思うにここで言ってる「科学的事実」って、「あ、なんか人と猿って似てるよね。」だから進化したかもってのを根拠に添えてるのかな。

でもちょいと調べてみただけで、本も出てきたし、ちゃんとしていくつもの根拠を、それなりにわかりやすくして伝えたんだとは思うけど。進化の存在証明 - Wikipedia

いまいま集めた事実をもとに、恐らく進化論が確からしいって話をして、それに対して「なぜ創造説を信じているのか」って聞いてみる方法がいいのかな。でも、そうだとしても「神がいるから」って循環論法になりそうだな。

ただ、キチガイがぐうの音もでないくらいの、数学的なきっちりした証明ってのはだせないんだろうな。でも、だしたところで、やっこさんは難癖つけてきそうだな...。

さすがのキチガイも天動説は信じてないし、そのくらいの勢いで、タイムマシンでも作らないと、やつらは受け入れられないだろうな。たぶん、天動説も、数式だなんだで、説明したところで、奴らは信じせえへんやろ。

そう考えると、証明というよりも、やつらの身体体験として、体験知として叩き込まないと理解しないわけか。面倒くさいこと、この上ないな。理解させても、利益もないし、逆に怒りだしそうだし、放っておくのが1番良さそうだな。
 


結局、そうなってくると、論理的な根拠を元に何が正しいかを類推する教育みたいなのが、必要なのかな。そして、あわせてその類推を自己の行動原理にすることも。頭で知っていることと、体で知っていることは全くの別物だから。具体的に言うと、こっちを信じたいと思っても、いくつかの根拠を提示されると、それが信じられないようにする教育が必要だと思う。

経験知として知らないと納得しないっていうのは、本当に危険なことだと思うから。それに、共通の言語環境というか、類推する環境を共有しないと、言葉が通じないから。日本語が、英語が、とかではなくて、その内容、そのものが。