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自己啓発本の胡散臭さに耐えられない。

書きかけ

人に依って抱えている状況は違うから、同じやり方で上手く行く訳ない。こうしたら成功するみたいな。ある種のダイエット本とかも同じ匂いを感じてしまう。

これらの本は、自分が置かれている状況を考えることを否定している。というのも、売り上げをあげるために、この方法は最高ですよ、と広く言う必要があるので、限定して、特定のこういう人に対して効果がありますよ、という言い方はしない。

それが結果として読者の時間の浪費を生むだけだが、自身の利益を意識してか、あるいは無意識に、そのようなことを言うことはない。本の中では、さも人を啓発する善人であるかのように述べているが、書かれている文章からにじみ出てくるそう言った姿勢が逆に筆者の下司さを際立たせている。



考えれば、わかることを考えない、考えさせない。胡散臭い宗教も、自己啓発本と同じである。考えればわかることを考えないのだ。

神の居場所は、考えてもわからないところに存在する。例えば自然現象がそうである。現在も、スピリチュアルとか、証明もできないけど、否定もできないところには、神は存在できる。

そして神様には、大きく分けて2種類が存在する。ひとつめは、考えても分からない "現象" を司る神様である。アニミズムや、ギリシャ神話などが該当する。ふたつめの種類の神様に比べると道徳心が薄い。しかし、ひとつめの神様の居場所は、時代を経るにつれて、科学が発達し "現象" が解明されるにつれて、その居場所を追われつつある。いまの神様の居場所は、スワンプマン、クオリアにある程度だろう。ふたつめは、人間を "救済" する神様である。キリスト教や、イスラム教がそれに該当する。最後の審判なども関連する考えだろう。

繰り返しになるが、ひとつめの神様も、ふたつめの神様も、人知の及ばない範囲で活動を行う。つまり考えてもわからない世界で彼らは生きることができるのだ。

政治と宗教を分ける必要があるのは、まさに、この点である。宗教は、考えを放棄する傾向にある。たしかに宗教は、人に対して道徳心を教授する役割を果たすが、それ以上の、余計なことも定義している。

それは例えば、ルサンチマンライクな考えであり、政治に限らず、それに従って一個人が生活をしようものなら、詐欺などをすることを厭わない搾取的人間、自己啓発本の筆者の格好の餌食になる。

Render therefore unto Caesar the things which are Caesar's; and unto God the things that are God's.
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に納めよ

カエサルのものはカエサル

 

しかし、だからといって、以下の記事のように、自己啓発という存在そのものを完全に否定できるわけではないと思う。というのも、人は、将来なんとかなるという、希望、言葉があるかないかでは、やる気の出方が違ってくるからだ。
キャリアポルノは人生の無駄だ - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

まさに「言葉は神であった。」のだから。

言葉は神であった。
ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

でも、だからといって既存の書籍を鵜呑みにしてしまうのは、筆者の格好の餌食になることには、間違いは無いと思います。

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