商品を買うことは、投票することである。

◯ 搾取的な企業に対して
ある商品を買うことは、その企業に投票することと同義である。しかし、投票と所属は一致しているが、購入は所属とは一致していない。そこに歪みが生じる。

現在、人は国に所属している。また同時に企業にも所属している。この場合、従属しているという方が正確なのかもしれない。企業は通常、その生産活動について、その企業に所属していない消費者の購入という行為で投票がなされる。

したがって、たとえ労働環境が劣悪であろうとも、その企業が淘汰されることはない。企業の内情がさらけ出されて大々的に広報され、業績を顕著に下げることは非常に稀である。

しかし、いくらかばかりながらも、そのような例はでてきている。例えば、ワタミはその最たる例であろう。また、遠くない将来 Amazon にも同じような影響がでるであろうと考えている。

通常、一般の消費者は、企業の内情を知らない。いちいち個々の業界の就労状態など、知る由もないし、そのようなことに時間を割く余力がない。ましてわかったところで、あえて高い、あるいは品質の劣る製品、サービスを買う金銭的余力もない。

そのようなことを考えると、労働環境が劣悪な、ある種搾取的企業に対して、そういった投票行動が有効に機能するには、消費者個々人のそれなりの見識と、財力が必要になってくる。

これを解決するには、やはり離職率や、残業時間等を端的に数字で割り出して、個々の法人税として課税することが妥当ではないだろうか。


◯ もうひとつの投票行動
また福利厚生の面から見れば、採用活動の成否で投票がなされる。つまり労働環境が劣悪であれば、従業員は去っていく。このようにしてバランスが取られ、淘汰されるはずである。

しかし、かならずしもそうはならない。なぜか。キャリアアップが見込める仕事については、そもそも希望者が多い。そのような環境下では、市場原理が働きづらいところがある。

そして最悪なことに苛烈な環境に合わなければ辞めてもらい、このことによって、企業はよりより人材、苛烈な環境下でも耐えられる人材を同じ値段で獲得する機会を得ることができるのである。

つまり、搾取的な企業というのは、本質的にはより強い企業になるための一つの指針である。もちろん、それに見合う、仕事、キャリアアップが見込める仕事を提示できるのであればの話ではあるが。

そうでなければ、搾取的な下位企業から、待遇の良い企業に移ることが容易に想像できる。しかしながら、国際競争の激しさ、変化の激しい中ではある意味止むをえない部分もある。

ある一定の新陳代謝を認めるにしても、離職率ベースでの課税は絶対に必要であることは容易に想像がつく。


搾取的な人間に対して

企業単位で見れば、法による規制、具体的には離職率に比例して法人税をあげることで、搾取的な企業に対する解決をみることができることが予想される。

しかし、個々の人間関係では、数値化できるものがなく、搾取的な人間に対する対処を取ることは難しい。これを解決するには、法の適用ではなく、新しい道徳を定義、適用する必要があると感じている。つまり搾取的な人間を積極的に排除するような、そういった道徳である。

現状の道徳(学校道徳)には問題点が多い。つまり善意がかならず帰ってくるという発想である。この発想は往々にして過ちである。多くの人は長い人生の中で遅かれ、早かれきづいていくようなきがする。

しかし、搾取的な人間にであったときに、彼らを積極的に排除しようとは決して動かない。「仕方ないもの」として捉える傾向にある気がする。なぜ、そのような行動にでるのだろうか。



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