国東半島旅行

国東神宮

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田染荘

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元宮磨崖仏

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富貴寺

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川中不動

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真玉海岸

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野生の猪

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文殊仙寺

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田園風景

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両子寺

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一泊二日で行ってきました。寺が多いんのですが、真言宗が多い。あと磨崖仏。磨崖仏自体が平安時代に盛んだったことを考えると、鎌倉仏教たる念仏宗やら禅宗よりも密教系の真言宗の寺が多いのがうなづけます。

壁に掘った仏、磨崖仏(まがいぶつ)が数多くあります。精神的に寄りかかりたいそんな思いが強かったのでしょうか... 寺自体も両子寺, 文殊仙寺と岩に立てかけらた寺の様式になっています。

磨崖仏という名の示す通り、彫るのではなくて、まるで磨くように、気の遠くなるような作業をして仏を掘ったのかなと。

1,000年以上経ったいまでさえ相当な奥地に寺々はあるのですが、そこに踏み込んで寺を建立してや磨崖仏を作って仏にすがろうとした当時の修行僧あるいは人々の気持ちというのは、思い測ると心が痛みます。

歴史を学ぶにあたって、私は二つの視点が大事だと思います。

まず1つ目は、当時の為政者がどのような環境下でどのように意思決定を下したのかということ。これは歴史の教科書を見れば、完璧にではないですがある程度追うことができます。

いまの歴史の授業というのは、ある程度為政者の業績を追うということが主題なので、これはわかりやすいのではないかなと思います。

そして2つ目は、当時の歴史に名も出てこないような人々がいかに虐げられ、病と孤独のうちに死んでいったのかということ。これは歴史の教科書には直接の文字として記載されることはありません。

歴史の転換点、第二次世界大戦以降になって文字として明確に見えてくる姿です。しかし、科学技術の欠如を考えればいかに困窮していたかを考慮にれれば、歴史教科書の文字の行間から読み取れる当時の苦痛、悲惨さというのは想像を絶するものがあります。

この2つ目のことを考えた時に、磨崖仏を作った当時の人々の気持ちが、自分にも降りかかってきてならなかったのです。

何だか暗い話になってしまいましたが... でも、人間がここまでいきてこれたのは、そういった悲惨さを直視しないといいますか "明るさ" が一つ大事だったのではないかなと思えてならないのです。

だからこそ、私は生きることが、生きることそのものが光が生じ得ない暗闇の中から光を見出す芸術であり、情熱の表れであると、そう思えてならないのです。

臼杵では芸術と食と美という名の享楽に身を任せていました。


臼杵

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