「ジョゼと虎と魚たち」感想

○ なぜ「ー死んだんやなと、ジョゼは思った。」のか?

答え: 死にたいと思ってたから。

この2つの文章を見ると恐怖そのものを好んでいる節がある。

それはお化け屋敷やジェットコースターで怖い思いをしたいと言ったスリルを求めるのとは明らかに違う願望、2人で死ぬことを期待している節がある。

「そんなに怖いのやったら、何で見たいねん」
「 一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。…… そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。もし出来へんかったら一生、ほんものの 虎は見られへん、それでもしょうない、思うてたんや」

海底に二人で取り残されたように思う。ジョゼは恐怖にちがい陶酔をおぼえて

○ なぜ死にたいと思っているのか?

答え: 死にたいと思っていた理由は、やっぱり境遇的に両親から見捨てられたり、社会的に孤立してたりとか、まあ色々総合的に考えると、そういう考えに傾いたのかなと考える。

幸福の内に死にたいみたいな… 特に文中に明確な根拠があるわけではない。

○ なぜ「そう考えると恒夫はいつジョゼから去るか分らないが、傍にいる限りは幸福で、それでいいとジョゼは思う。」のか?

答え: もうジョゼは死んでしまっているから。「死んだモン」には、恒夫がいてもいなくても、もう関係ない。

“恒夫がいてもいなくなっても構わない” と表現することによって、ジョゼが死んだ心境がより際立って目立つようになっている。

(アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる)

○ 本当に「それでいい」のか?

答え: よくない。なぜなら死んでいないから。

以下の文章は、一貫性が損なわれてる。もし、より際立たせたいなら、傍にいてももうなんとも思わないとなると、つまり、恒夫ももういないとしてしまえばいいのかなとも思ってしまう。

このことは実際にジョセは精神的に死んでいないことを示している。

傍にいる限りは幸福で

○ 恒夫がジョゼから離れたら、どうなるか?

答え: 恐らく父親に捨てられた時と同じよう手段、防衛機制を取るのではないかと思われる。つまり、自分の都合のよい世界を作り出すのではないか。

具体的に言えば、恒夫に捨てられたことを、都合よく解釈して自分は捨てられていないとしてしまう可能性がある。

例えば、「恒夫に捨てられた」のではなく、「ジョゼを守るために事故死した」と作り替えたり、「海外に赴任して待っている」と作り替えたりするかもしれない。

○ ジョゼはどうするべきか?

答え: 恒夫と結婚するべき

ジョゼは種々の理由で父親や母親から捨てれ、社会からも孤立した。恒夫の中では存在価値を見出している。

そうだ嫌な過去を持つジョゼは死んだのだ。そして少なくともいまいるジョゼは、「傍にいる限りは幸福」を感じる新しいジョゼなのだ。恒夫と結婚する、多分そうすることが一番よいと思う。

長いことかかって料理をつくり、上手に味付けを して恒夫に食べさせ、ゆっくりと洗濯をして恒夫を身ぎれ いに世話したりする。

○ 感想

この話で恐ろしいなって思えるのは、あんまり救いがない話なのに、とても美しいと思えること。

あんまり関係ないけどアルベート・カミュの小説のひとつ、「幸福な死」というタイトルを思い出しました。

○ そのほか

水族館は無意識, 魚は性的なイメージがある。