マクベスを読んだ感想


四大悲劇って聞いてたけど、読んでて憂鬱な気分になる本ではなかったかな。視点がマクベスから、マルコム、マクダフに移ってくれるから最終的に勧善懲悪的お話になった。身構えてて損した。チェーホフの「かもめ」「ワーニャおじさん」の方が、よっぽど精神的に来るものがあった。

でも、ありきたりの感想だけど、個人的には面白かったかな。現代の映画やアニメとかと比べたりすると、古典の方がいいかどうかはわからない。作品の母数も違うし、現代の作品の方がもしかしたら優れてるのかもしれない。でも、時代背景がいまと違うから、1行1行切り取っても、いまの時代の人にはかけない文章だし。自分はそう言うのが好きだ、日常を忘れさせてくれる。

話のテーマは、「罪と罰」のラスコーリニコフみたいに、道徳的に悪事を働いて良心に絡みとられて精神的に不安になる主人公の話。でも良心がなかったら、マクベスは、良心に、魔女に絡め取られていなかったんじゃないのかなとも思う。マクベスが、いいやつだからおかしくなったのであって。そうでなかったら、何ともならなかったっていうこと。


わたなべ美樹さんとか思い浮かべてしまう。社員の方が自殺した時に、こんなつぶやきをしたのは、おそらく、魔女がやってきそうになったのかなと思ったりもする。

良心というよりも、この場合はアイデンティティの危機だろうか。何でこんな無関係なことをわざわざ呟いたのか、また何を「信じています」なのかを考えることは、それはそれで結構面白い。

自分はいいことをしていると思うことは、マクベスラスコーリニコフがおかしくなったのとは逆の効果がある。やる気や活力が湧いて来る。この人は、書籍のタイトルをさっと見ただけでも、自分がいいことをしているという自負が強い。それがこの人のアイデンティティを形成しているし、自己を否定するような魔女がやって来ることもない。

しかし、この件でそれが揺らいだ、ほんの少しだけ。魔女が顔を覗かせにやって来た。だから、わざわざ、「信じています」と呟いたのかなと思ったりもする。神様でも信じているのだろうか。恐ろしい神様だ。この人の中では神と悪魔が、善と悪が逆転しているのかもしれない。


良心とはどのようにして形成されるのだろうか。良心って何だろう。武将として何千という人命を殺めてきたのに王様は一人を殺すと良心が痛むだなんて。サンテクジュベリの「夜間飛行」とか読んでて思ったけど、貴族というのはそういうものなのかもしれない。

もう少し視野を広げるなら、自分だって家畜の牛や豚が屠殺されることについて、そこまで心を病んだりはしない。魔女がやって来たりはしない。結局、程度の問題だったりすると思う。

良心を形成するものは2つあると思う。1つ目は、もともと生来的に備わってる親切心とか、性善説的な何か。2つ目は、プロトコルとしてのもの。自分が弱い立場にあって、酷いことをされたりしたことがきっかけで形成されたりするもの。ニーチェが否定した神様的な何か。この2つをごっちゃにすると悲劇が起こる。

例えば、1つ目の生来的に備わってる他人を喜ばせたりすることに快感情を覚えることを完全に偽善と否定すること。あるいは2つ目のプロトコルから生じた他者への親切な行為を生来的な行為だと捉えること、ポジショントークだということを認識しないこと。


本文中に四字熟語とかでてきて、結構意訳されてたりするのかなと不安になった。岩波文庫とかと比較してから買っておけばよかったと思った。

あと話の展開がやけに急だったり、飛ばしてるように感じたけど、それについては解題で記されていて「へー」ってなった。でも、もうちょっと簡単な全体像とかについても書いて欲しかったけど。そういうのは自分で調べろってことか。