日本人は自由さを好む気がする。日本語の文法もそうだし、古く言えば "散らし書き" は "漢詩" と比較するとすごく自由に見える。 Ruby の自由さが好まれるのはそう言ったところにあるのかなという気がする。 国内の Python の人気は、Ruby にあった熱狂みたいなのは、ほとんど無い気がする。

コードを書くということを考えたときに、もしかしたらあまりこの自由なものを好む傾向はよくないのかもしれない。 もちろん良い方向で作用するものもあると思うけど。 なんか、こう静的型付であったり、KISS の原則とか見てると、そういう雰囲気なのかなという気がする。

反面、日本人は細かいことに対してとても几帳面なところがある気がする、自分はそんなことないけど。 相反する。これが何に由来しているのかはわからないけど、維新後の義務教育の影響が大きかったりするのだろうか。 それとも元々相矛盾するものが互いに共存しているのだろうか。

そう言った几帳面さが逆にアダになっているのではというのは面白かった。

IT 絡みでいうと、なんか全部逆の方向に作用してしまっているのではないかって気がした。 コードを書く段階では自由さを好むし、使う動機では几帳面だからあまり無いみたいな。 こう几帳面だけど自由さを好むから効率が悪いやり方になっているみたいな...

その国が勢いに乗るかどうかは、その国の地理的な「場所」と人の「性格」が大きな要因であるような気がする。 日本人の「性格」は、もしかして歴史的な役割をもう終えているのだろうか。とふと思った。