悟りとはなにか?

あんまり深く
考えずに
生きられるように
なることです。

「要」は現代中国語では「欲しい」とかで訳します。 古代は違うかもしれませんが、たぶん「欲しい」であっていると思います。

飢來要喫飯 お腹が減ったら飯を食べて
寒到即添衣 寒ければ服を着る
困時伸脚睡 眠くなったら足を伸ばして寝て
熱處要風吹 暑ければ風が欲しくなる

これは悟りとはなにか?と聞かれた師匠に聞かれた、道元が答えた回答です。 これを持って悟りを得たという印可を得ています。

茶に逢うては茶を喫し
飯に逢うては飯を喫す

そんなん簡単なことじゃ無いですかって感じですが。 それでも人は、ご飯を食べているときに、 今日他人から言われたことを気にするし、 明日ことを心配します。 そして疲れて消耗していきます。

以下の漫画にそんなことを言い合っているやりとりが書かれています。 堅苦しくなく絵に愛嬌があって、オススメです。

より実践したければ以下の記事が面白いです。

仏教は物語を消す宗教です。反面、キリスト教は、物語を作る宗教です。

インドは数学の0の概念を発見しました。同時に物語を0にする方法を発見しました。欧州は工学が得意です(な気がします)。同時に物語を体型立てました。

ここで言う物語とは無意識下で認識している世界です。無意識のうちにそうだと思っている世界です。

無意識の発見は近代、フロイトの登場を待たなければなりません。しかし、無意識という言葉を借りれば、認知療法は「無意識のうちに自分がそうだと思っていること、物語を書き換えること」だし、悟りは「無意識のうちに思っていることを消すこと」と比較的簡単に説明がつきます。

欧州が React のような型付を好む背景はこのあたりにあり、またアジア圏が Vue のようなものを好むのもこの辺りにあるのかなと。

IT の世界は、単一責任の原則, KISS の原則のようなシンプルさを基調にして世界を体系立てていく作業かなと思っています。 そうすると欧州の人の方が、アジアの人よりも適性が良いのかなと思ったりもします。

ただ Googleマイクロソフトの CEO がインド人だったりするのを見ると、0を発見したインドは、また別格なのかなと思ったりもします。